太極拳を初体験

太極拳を初めて体験してきた。

本格的にやろうと思っている訳ではないが、ゆっくり動く型の中に現われている武術としての技に興味があったし、知って邪魔になるものでもないだろうと思うから。

受講者は年配ばかりなので若者のような派手な動きはしない。でも基本は学べそうだ。

実は空手との類似性なんかも垣間見えたりして、やはり大陸との繋がりを感じる。

特に、足先を縦(前後)に平行にして、かかとから膝までは真っすぐにして立つ様子など、足幅に違いはあるけれどもナイハンチを感じさせる。

この立ち方はひざを痛めない為のものらしい。

私もいつも気を付けているのがつま先の向く方向と膝の向く方向を同じにする事。こうしないと膝を痛める。

スキーの滑降の選手の滑っている時の足の形は、同じようにかかとから膝は真っすぐになっているとみてるんだけど。

勿論ナイハンチ立ちは膝だけの問題ではないとは思うけど、長い歴史を持つモノにはやはりそうしなければならない理由があるって事ね。

今は太極拳のゆったりした動きを感じ取りたいと思ってる。

私は肩に力が入り過ぎてしまう。力を抜く事がなかなか出来ない。

力を抜いて意識しないで動く方が効果があることがわかってきている。だから、それをどうしたらできるようになるのかが目下のところの目標なのだ。

居合も、空手も、武器術も今、脱力して出来る様にしようと思ってる。これがなかなか難しいのよね、私には。

兎に角今日は、太極拳を初体験してきた。

20210404 姫武の練習

まあ、土砂降り。覚悟はしてたけど今日は六尺棒は車の中でお留守番。刀と半棒を昔のウィンドブレーカーをぐるぐる巻きにして、自転車用のカッパ(これおすすめ、荷物も覆ってしまう)を着て傘さして出かけた。

いつもの駐車場は空いて無くて¥200の駐車場、でも、一番近い所が空いてたもんね。

今日は昨日の<武道館まつり>の影響か、新たな人が子供も含めて数名が来られてた。最近では珍しい。我が鬼軍曹(いつも教えて貰ってる方)はそちらに行かれ、別の方のご指導。

ここ2か月程のごたごたで前回お休みしたからではないけど、型忘れた。

教えて貰ってる時に次の型をすると前の型を忘れてる。いやぁ、参った参った。呆れられてるわ。

そう言えば私って、理屈で解らないとなかなか覚えられなかったわ。色んな事がそうだった。

図面の仕事を始めた時、製図の”せ”の字も知らなかったけれど自分でコツコツ自主学習しながらやってると、始めこそ時間はかかるけれど、それが過ぎれば自立して描けるようになったもんね。(指導者のほったらかしに縁があるのか?)

そうなのね。私って最初は結構時間がかかるのよね。めげないめげない!(自分を応援)

昨日の気に入った(これは一発で覚えてる)技の話。普段はなかなか見せて貰えないやつだったそうな。ひぇ~~~っ、ラッキー!!!

今日の練習はなんと3クール。いつもの1.5倍!疲れやした!でも、例の技はちょっとだけ練習しといた。

連日続くとちょっと腰にくるな。

明日は朝から予定が一杯。

なんか、色々ごたごたしてきた。半棒も磨かなきゃ。せっかく作ってもらったのに磨いてないって怒られた。だってぇ、プチ戦乱の最中なんだもん。

気持ちよく疲れて、今日はもうおやすみ。

続きを読む

武道館まつり

姫路藩古武道の練習は、市内の県立武道館でしている。その武道館の<春の武道館まつり>というのが本日開催された。

姫路藩古武道はワークショップをするって事なんだけど、ワークショップってそもそもどんなことをするの?って事で、私服の様子窺い参加をした。

最初はこんな感じ
20210403_1.jpg準備体操をしてます。

お隣では少林寺拳法。皆、元気がいい。
20210403_2.jpg

で、体験教室が始まりました。
20210403_3.jpg実は写真撮影を頼まれて自分の分を取る時間が無くなってしまった。
それぞれかっこいいところを撮ったのですが、あっちのカメラでばかりだった。残念でならない。
でも、こういう時の撮影のコツのようなものに気付いた。
画像を観ながらシャッターを押すと遅れるのです。
このタイミングってのがあるでしょう。呼吸が伝わってくるじゃないですか。
そこなんです。次の瞬間をって時は、画像を見るのではなくて生で見てる方がタイミングが取りやすいんですよ。
ですから、カメラの向きを整えたら、直接見てシャッターを押すタイミングを計るのです。
何枚も撮った最後の2枚ほどのところで気が付いた。
遅いけど今後に生かそう!!

次のクラス。剣道をしている子達です。
20210403_4.jpgこの時、参加したらって言われてそうしたら、これ以後写真を撮る暇が無し。
いやぁ、充実してたなぁ。
最後にやった半棒の技がすこぶる気に入った。
明日練習日だから、その技を練習しとこ。
居合の型もまだ覚えきれてないんだけど、頑張ろ!!!

見てる方向が違ってる

新しい年度に入った。昨年度は何かと波乱万丈の一年だったけれど、年度替わり直前に新たなステージに辿り着く予感がしてた。

そして得たものは、自分の今迄進んできた道をこのまま進めばいいという事。

空手を習い始めた頃、動きには流れがあると考えていた。型の動きの順番にも流れがあると考えた。その考えを基に順番を思い出したりもした。

また、円を描く動きを基本に細かな動作を考えたりもした。自分で動き方を考えながら練習はこなしていた。

結局、型の意味は自分で考えて練習をしていた時間が圧倒的に長い。これは自己流に陥っていたのかも知れない。でも、残念ながら教えて貰える環境にはなかったのだから仕方がない。

第三者から見て私の動きはどうなんだろうかという思いは常にある。つまり、自信が持てなかったのだと思う。

だから、ここまでは出来る様になったという目安に段は欲しいと思ったのだけれど、この流派では私は、「全く基礎が出来てない。」という一言で片付けられてしまったのだ。「えっ?その基礎ってどれのこと?」っていうのが正直なところ。それすらも判然としない状況が続いた。結局私には対処のしようが見当たらないまま、理不尽さの葛藤に苦しんだ一年だった。

ところが一週間ほど前の事。最近買ったDVDを見て気づく事があった。

習い始めの当初から、私が向いている方向とこの流派が向いている方向が違っていたのだと気づかされた。

この流派の型は人に見せる事を意識している。つまり、試合用の型なのだ。だから、力強く見える事が必要だし、派手に見える事も必要なのだと思う。

私の考える型の動きは自然の流れの中に、動きで得られる力を利用することを考えるので、結果的に動きに派手さは出にくかったりする。DVDの中で同じようなことを言っていた。そして自分の体重を如何に乗せていくかが工夫のしどころなのだけれど。

体重を乗せていく動きを思いつく原点は『村上水軍の娘』で、主人公の娘が屈強なガタイの河内の海賊の統領に挑んでいくとしたらどんな戦い方をするだろうと想像したことから始まる。

つまり、強く見える為ではなく、圧倒的に弱い立場での戦い方を思い描いたのだ。

結局、武術は生きるか死ぬかの中で練り上げられたもの。そんな気がしてる。

そんな風に考えるのは私だけではないって事が分かっただけでも実は安心した。間違ってなかったとね。

型にはいろんな型があって、実践を想定したもの、型試合の為の型、鍛錬用の型。

どの方向を向くかで動き方も違ってくる。それだけの事だったのだ。勿論私がもの凄く上手に出来ているなんて思っているわけでは毛頭ない。出来てはいないけれど、向いてる方向はそっちだったって事ね。

だから今、新たなステージに進めそうな気がしてる。いや、進もうとしてる。

沖武を辞めるわけではないけれど重心は徐々に姫武に移っていくことになるだろう。

日本の古武道の中に武術のいろはがちゃんとあるんだって気が付いた。えっ?こんな近くにあったなんてって感じがしてる。

たったそれだけの事でも気分が全く違ってる。穏やかになれる。

薬の副作用で空手を始める事に?

また体調を崩して、2回目なので覚悟を決めてお医者さんへ。年も年だからとついその気になって悟った風を決めてみる。

やらなきゃならない事も抱えていたので、出来なくなった時の為に取敢えずの資料をUSBに、そして人に託す。

結果、色々可能性はあったけど、多分これだろうと思うが、血液検査、CT、例のお尻から入れる奴もせないかんと。いやだぁぁぁ!!

血液検査をされるとね、必ず言われる事がある。コレステロール値が高いから薬を飲みましょうってね。下げないとこんな危険がありますよ云々。

かつて2~3回処方されてる。肉類は控えなさい。食べる量を減らしなさい。

今回は抵抗した。「以前そう言われてコレステロール値を下げたら(少ししか下がらないけど)、筋肉がガタ減り、膝がガクガクになって歩けなくなった。」とね。

「それは大事だ。」と言われた。稀に薬の影響で筋肉が減少する人がいる。

「薬の影響で?」

あのね、あの時膝ガクだけじゃなくぎっくり腰を連発してたのよ!一か月おきだよ。あの魔女の一撃の辛さご存じか?

こりゃなんとかせねば!てんで、腰を庇いながらジムへ通い、そこで若い空手の兄ちゃんに出会い、空手を始めてしまって今に至っとるんだが。

「放ったらかされてた。教えてくれん(くれない)。」と文句ばかり垂れ続けてたが、あそこで彼に出会わなければ空手なんてしてないし、もしかしたら今頃は歩けなくなっていたかもしれないなぁ。

そうか、彼は教えてくれなくてもよかったんだ。私にリハビリのきっかけを作ってくれたのね。内緒で感謝しとこ。

2日間、食事代わりのウイダーインゼリーと水分補給。お腹すく。

3日目の今日、おうどんから初めて、晩御飯はおかゆと南京の煮っころがしとほうれんそうのお浸しと鯛の煮つけ。

ご飯が恋しかった3日間でした。あっ、ご飯はまだ食べてない。

ちょっと反省した

「何で?」で失敗した。そこには理由があったのにそれに気付かないで声を荒げた。

それに気付かせてくれたのはチビの一言。「助けが必要なんじゃない?」 うぅん?首を傾げた。

自分に被害が及ばなければ冷静に客観的に眺めてるのに、自分に影響が及ぶとなると防戦意識全開になってしまう。

今迄の出来事、会話の数々を思い返してみると、読みづらくはあるけれどある意味「SOS」だったのかも知れないと思う。そう考えると合点がいく。

どうしても自分の物差しで物を観ようとするけれど、人それぞれが抱えている背景は多種多様だ。表現方法も千差万別なのだろう。

今までにこうした事の経験が無かった訳じゃない。多分、嫌な思いをしてきた裏には、その時々としては理解出来る程の人生経験が不足してたけれど、こうした問題が隠れていたような気もする。

そこに何で気付く余裕が持てなかったのだろう。余裕が持てたとして解決できただろうか?

実は解決しようと試みたことはある。でも出来なかった。序列から言えば私は下位になるので理屈だけでは意見は通らない。

人が集まれば序列が出来る。組織となれば猶更その序列が大きくものをいう。

完璧な人間などいない。自分が出来ないことは補ってくれる存在が必要になるけれど、その人物との信頼関係を築けなければ、まず動いてくれない。

今回一つだけ気付くヒントを得た。それは、”罪悪感”が見えないところ。人を貶めてやろうとか、傷つけてやろうとかの悪意を感じないところ。こっちは悪意に感じてるんだけど(苦笑い)、あっちは邪気が無いというか。

そこ、おかしくないか? で、「何で?」ってなってたのよね。